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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)2578号 判決

甲事件・乙事件原告

盛田俊彦(以下、単に「原告」という。)

右訴訟代理人弁護士

眞継寛子

小久保哲郎

甲事件被告

株式会社髙島屋(以下、単に「被告」という。)

右代表者代表取締役

日髙啓

右代理人支配人

増倉一郎

乙事件被告

和田隆司(以下、単に「被告」という。)

右被告両名訴訟代理人弁護士

森澤武雄

主文

一  被告らは、連帯して、原告に対し、金九一〇万五〇〇〇円及びこれに対する平成五年三月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、連帯して、原告に対し、平成五年一一月一日から原告の死亡に至るまで毎日、一日当たり金五二〇二円の割合による金員及びこれに対する各支払期日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告の甲事件及び乙事件のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

五  この判決は、第一、第二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求(甲事件及び乙事件)

一  被告らは、連帯して、原告に対し、金五〇七五万七九九三円及びこれに対する平成五年三月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、連帯して、原告に対し、平成五年三月二一日から原告の死亡に至るまで毎日、一日当たり金一万一九四四円の割合による金員及びこれに対する各支払期日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  仮執行の宣言

第二  事案の概要

本件は、買い物客として被告株式会社髙島屋(以下「被告髙島屋」という。)大阪店を訪れていた原告が、荷物運搬中の同被告従業員の被告和田隆司(以下「被告和田」という。)に衝突されて転倒し、頸髄損傷の傷害を負い、後遺障害が残ったと主張して、不法行為及び使用者責任に基づき、逸失利益、慰謝料等の損害賠償を請求した事案である。

一  当事者間に争いがない事実

1  原告は、昭和二年三月三〇日生まれの男性であり、平成五年三月二一日午後二時四〇分ころ、被告髙島屋大阪店を買い物客として訪れ、東館地下一階の和菓子売場付近(別紙図面参照)を歩いていた際、事故が起きた(その事故の態様について争いがある。以下「本件事故」という。)。

2被告髙島屋は、原告に対し、入院関係費用として、合計一八四万二三八二円(入院費用一二四万二二五〇円、付添婦代五五万七七三二円、入院雑費四万二四〇〇円)を支払った。

二  争点

1  本件事故の態様

(原告の主張)

原告は、荷物運搬中の被告和田に背後から衝突されて別紙図面記載の北から南の方向へ向かって動いていた上りのエスカレーター(以下「本件エスカレーター」という。)の手すりに倒れ込み、そのままエスカレーターの手すりが上昇するに従い身体を空中に持ち上げられ、そこから床に落下した。

(被告髙島屋の主張)

被告和田が荷物を持って歩行中に反対側から歩いてきた原告とすれ違った際に、被告和田の持っていた荷物又は体の一部が原告に触れたか、あるいは原告が被告和田を避けようとしたことによって、原告がバランスを崩し、本件エスカレーターの手すり部分にもたれかかり、これを目撃した他の販売員(廣瀬武志)が駆け寄って原告を後ろから抱きかかえて、転落、転倒を防止した。

(被告和田の主張)

被告和田は原告と接触していない。

2  傷害及び後遺障害の程度

(原告の主張)

(一) 原告は、本件事故により、入院約四か月、通院加療約二年を要する頸髄損傷の傷害を受けた。

(二) 原告は、全身に痺れが残存しており(特に下半身、足が著しい。)、平成七年九月二九日に症状固定したが、著しい神経障害があり、緩解の見込はなく、日常生活では適宜介助が必要であるから、原告が本件事故によって負った後遺障害は、自賠責保険後遺障害等級二級三号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、随時介護を要するもの)に相当する。

(被告らの主張)

本件事故の態様からして、原告が主張するような傷害や後遺障害が生ずるはずがない。

3  因果関係

(原告の主張)

原告は、本件事故以前は何の支障もなく日常生活を営んでいたし(現に、本件事故当日も一人で自宅から被告髙島屋大阪店まで出かけている。)、昭和五四、五五年当時は警備員として稼働したこともあり、本件事故当時はアルバイト程度に警備員として稼働していたのであるから、原告の傷害、後遺障害と本件事故との間には因果関係がある。

(被告らの主張)

仮に原告主張の傷害、後遺障害が生じたとしても、右傷害、後遺障害は、被告和田において予見不可能な結果であるから、被告和田の行為との間には相当因果関係がない。

4  損害額

(原告の主張)

(一) 逸失利益 二〇〇三万七九九三円

(1) 賃金センサスによる年間平均給与額 三〇四万一三〇〇円

(2) 労働能力喪失率 一〇〇パーセント

(3) 就労可能年数八年のホフマン係数 6.58862764

(4) (1)×(2)×(3)=二〇〇三万七九九三円

(二) 慰謝料

(1) 入通院慰謝料 三二二万円

① 入院期間 平成五年三月二三日から同年七月二一日まで(約四か月間)

② 通院期間 平成五年七月二二日から平成七年九月二九日まで(約二七か月間)

③ 入院期間四か月、通院期間二七か月の入通院慰謝料は三二二万円である。

(2) 後遺障害慰謝料 二二五〇万円

(三) 介護費用(ヘルパー派遣料)

原告は、日常生活において適宜介護を必要としているところ、一人暮らしの原告には介護してくれる同居の親族はなく、原告が生きながらえるためには、ヘルパーの派遣を受けて介護を受けることが必要不可欠である。

そして、ヘルパー派遣料は一日当たり一万一九四四円である。

したがって、原告は、本件事故の発生日である平成五年三月二一日から、原告が死亡するまでの間、毎日一日当たり一万一九四四円の支払を求める。

(四) 弁護士費用

五〇〇万円

(被告らの主張)

(一) 後遺障害による逸失利益について

原告は本件事故前に既に労働能力を喪失していたのであるから、後遺障害による逸失利益の損害は認められない。

なお、症状固定時期は平成五年七月ころとみるべきである。

(二) 過失相殺

原告としても対面する歩行者の動静にある程度は注意すべきであるから、五割の過失相殺がなされるべきである。

(三) 加重障害

原告には既往障害があったので、後遺障害による逸失利益及び慰謝料の損害の算定に当たっては、加重障害の手法により、適宜減額されるべきである。そして、原告の既往障害は障害年金三級一三号に相当すると考えられるのであるから、原告には自賠責保険後遺障害等級五級二号相当の障害が残存していたと考えるべきである。

(四) 原告の体質的素因の寄与に基づく減額

原告の症状は既往障害(従前の脊髄損傷及び頸椎症等の疾患)によるものであるから、損害額は減額されるべきである。

(既往障害の存在による減額の主張に対する原告の反論)

不法行為の加害者は被害者のあるがままを受け入れなければならないのであるから、原告に交通事故による既往障害があったとしても、それを理由として損害額を減額すべきではない。

仮に、原告の既往障害を考慮するとしても、本件事故前の原告の身体の状態は自賠責保険後遺障害等級一二級一二号(局部に頑固な神経症状を残すもの)に該当するに過ぎない。

5  被告髙島屋の使用者責任(被告和田との関係)

(原告の主張)

被告和田は被告髙島屋の従業員である。

(被告らの主張)

被告和田は被告髙島屋の従業員ではない。

第三  当裁判所の判断

一  本件事故の態様

前記争いのない事実及び証拠(甲一の1・2、二、一一、乙一、三、五、検乙一の1ないし9、証人廣瀬武志、原告本人、乙事件の訴え提起・弁論併合前の証人和田隆司)によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、平成五年三月二一日、被告髙島屋大阪店東館地下一階和菓子売場付近を買い物客として訪れていた。

原告は別紙図面記載の東側の陳列棚を見た後、本件エスカレーターと柱の間を通って北西方向にある餅菓子屋に向かおうとしていた。他方、被告和田は、売場のカウンターから配送場まで運搬するべくあられ類の入った段ボール箱を体の前に抱えながら、本件エスカレーターの東側にある通路を南から北に向かって歩行していた。ところが、被告和田が所持していた段ボール箱が原告の背中ないし腰付近に当たったため、原告は東側から西側の方へ三、四歩たたらを踏むようにしてつんのめり、本件エスカレーターの東側側壁の外側部分にぶつかった。原告は、とっさに北から南の方向に向かって動いていた上りの本件エスカレーターのベルトを右手で持ったが、足の位置が動かなかったため、上半身だけがベルトに引きずられ、上半身をねじった態勢になり、体の左側面を下にして転倒しそうになった。このとき、本件エスカレーターの東側の和菓子売場にいた廣瀬武志が原告の体を後方から抱きかかえたため、原告の体が床に落下することはなかった。

2  この点、被告和田は、原告と接触していないと主張し、乙事件の訴え提起・弁論併合前の証人として右主張に沿う証言をするけれども、本件事故当時、被告和田以外に本件エスカレーター東側付近の通路を通行している者はいなかったこと(証人和田)、何らの接触もないのに原告がつんのめり、エスカレーターのベルトに引きずられるような事態が生じるとは考え難いこと、被告和田は本件事故直後に原告に謝っていること(証人和田)、原告は、本件事故直後に救急搬送先の辻外科病院において、店員の持っていた箱が背部にあたったと述べていること(甲二)、現に被告和田は箱を持って移動中であったこと、被告髙島屋が作成した事故発生状況報告書(乙一)にも「接触」した旨の記載があることが認められるのであって、これらの事実に照らし、右証言は採用することはできない。

また、原告は本件エスカレーターが上昇するに従い身体を空中に持ち上げられ、そこから床に落下したと主張し、原告本人尋問の結果中には右主張に沿う供述が存在するけれども、証人廣瀬武志の証言に明らかに反するのみならず、右主張のような態様で床に落下すれば何らかの打撲傷が発生すると考えられるところ、本件事故直後の救急搬送先である辻外科病院の診療録には打撲傷がある旨の記載がなく、また、原告が打撲を訴えたような記載もないことに照らし、原告の右供述は採用することはできない。

二  本件事故と傷害、後遺障害との因果関係及び後遺障害の程度

1  本件事故以前の原告の生活歴及び既往障害

証拠(甲二、四、六の1ないし4、八ないし一一、一三、一五、二四、二五、検甲一三ないし二三、証人清久京子、原告本人)によれば、次の事実が認められる。

原告は、本件事故の約二五年ないし三〇年前、交通事故に遭い、頸髄損傷と診断された。このときは頸より下が麻痺し、病院を転々として約六年間入院して頸椎牽引等の治療を受け、その後、大阪府堺市所在のリハビリセンターにおいてリハビリテーションを受け、日常生活動作(ADL)ができるまでに回復した。そして、歩行もステッキ等を使わずスムーズにでき、軽く走ることもできるようになった。

その後、原告は、昭和五四年から同五五年ころ、株式会社セイビ大阪において警備員として働いたほか、非常勤でしばらく株式会社真孝警備において警備員として働いたこともあった。

また、原告は、本件事故直前においても日常生活に支障を来すことなく生活しており、住之江又は尼崎の競艇場まで頻繁に出かけて賭けをしていて、本件事故の二日前である平成五年三月一九日にも住之江競艇場に行っていた。そして、原告は、本件事故当日も、自宅から介助等を受けることなく一人で被告髙島屋大阪店まで出かけていた。

2  本件事故後の原告の症状経過

証拠(甲一の1・2、二、四、五、九、一〇、二六、乙二の1ないし7、一一、二七の1・2、証人清久京子、甲事件における訴え取下げ前の共同被告三宅雅彦、原告本人、調査嘱託の結果)によれば、次の事実が認められる。

(一) 辻外科病院入院時における治療経過

(1) 原告は、本件事故直後の平成五年三月二一日午後三時一〇分、辻外科病院に救急搬送された。搬送後の診療において、原告は上肢にしびれがあると訴え、手指運動は緩慢、足趾運動は貧弱、四肢の運動は低下の疑いがある、歩行は不可の状態、ワルテンベルク症状左右とも(+)であるが、意識は清明で、四肢の運動時疼痛なし、頸椎に疼痛なし、上肢・下肢の腱反射は正常との所見により頸髄不全損傷(中心型)と診断され、ベッド上での安静が必要と判断され、午後四時五〇分、同病院に入院した。

(2) 翌三月二二日、C5エリア以下に全て知覚障害あるようであるが、下肢より知覚障害軽減している、左上腕部つけ根付近の痛覚消失、大腿部の痛覚低下、手指・手関節・肘・足趾・足関節の自動運動はあるが不器用、肩の外転は不能、膝関節の屈曲力は弱い、バビンスキー反射(伸展性足底反射)(+)、アキレス腱反射低下、膝蓋腱反射正常、前縦靱帯骨化があり、脊柱管がかなり狭いと診断された。

なお、原告は、医師の問診に対し、「以前より頸髄損傷があったが日常生活動作は自立していた。尿意はなかったが、膨満感にてコントロールしていた。上下肢に知覚障害があったが、本件事故後増強している。」旨答えた。

(3) 以後、同年四月一四日には、脊髄症を伴う頸髄損傷と診断された。同年五月二〇日にはMRI検査が行われ、脊髄全体の圧排あるが、局所ははっきりしないと診断され、七月九日には頸髄CTによる検査が行われ、前縦靱帯骨化、後縦靱帯骨化があると診断された。

(4) 原告は、上肢の痺れについて、同年三月二九日には楽になっていることを、同年四月五日には、痺れが続くことや手指の動きがやや鈍いことを、同月一一日には痺れはあるが最初よりは楽になっていることを、同年五月一〇日には楽になっていることをそれぞれ訴え、後記同年七月一九日付国立泉北病院宛の紹介状には両上肢の痺れ感があると記載されている。

また、原告は、下肢の痺れについて、同年三月二九日には楽になっていることを、同年四月一一日には痺れはあるが最初よりは楽になっていることを、同月二六日には、ここ数日右下肢の痺れが強くなっていることを、同年五月一日には、大体立てるものの右下肢はまだ歩きにくいことを、同月五日には、右下肢の痺れが強いことを、同月六日には、調子は良くなったがまだ右の大腿・下腿の感覚が鈍いことを、同月一〇日には下肢の痺れは変わらないことを、同月一二日には右大腿に痺れがあることを、同月三一日には下肢に力が出てきたことをそれぞれ訴えた。

他方、原告は、同年四月五日には立位が安定し、平行棒間の歩行練習を行い、同月一九日には歩行がしだいに安定するようになり、同年五月一七日にはゆっくり歩くことができるようになり、同年六月七日には、病院から約一〇〇メートル離れた所にあるコンビニエンスストアまでゆっくりとではあるが歩いて行ったこともあり、同月一四日には歩行がかなり安定し、同月二八日には痙性歩行ではあるものの歩行は安定するようになった。そして、後記同年七月一九日付国立泉北病院宛の紹介状には下肢の痺れについては記載されていない。

(5) 同年五月二四日には、原告は最近調子よいと訴え、日常生活動作上かなりよくなっていると診断されている。そして、同日をもって、医師の判断により、本件事故当日から始められた付添婦による付添いは打ち切りになった。

(6) 原告は、同月三一日には冷房がこたえることを、同年六月一二日には下の物をうつむいて取ることができないことや布団から起き上がりにくいことを、同月二〇日には起き上がりにくいことを訴えた。

(7) 原告は、同年七月二二日、希望により国立泉北病院に通院する予定で、辻外科病院を退院した。右退院に当たって、辻外科病院は、同月一九日付の国立泉北病院宛の紹介状を作成したが、同紹介状には、「傷病名①頸髄中心性損傷、②変形性頸椎症。C5エリア以下の知覚・運動障害を認め、グリソン牽引にて経過観察したところ、しだいに症状軽減し、現在、両上肢のしびれ感、功ち運動障害を認めるのみで、ADLは自立しています。」と記載されている。

(二) 国立泉北病院への通院経過

(1) 原告は、平成五年七月二三日、国立泉北病院で初めて診断を受けた。通院開始時の主たる訴えは両下肢の痺れであり、頸部のレントゲン所見として脊柱管に狭窄があり、上腕二頭筋反射、上腕三頭筋反射、膝蓋腱反射、アキレス腱反射の亢進が認められ(下肢の腱反射の亢進の方が著しい。)、頸椎症性脊髄症と診断された。

なお、同日撮影されたレントゲン写真によると、腰椎については、著明な骨棘形成、すなわち変形性脊椎症の所見が認められるものの、椎間狭小化の所見はなく、腰椎の所見は総じて退行変性のものであり、本件の症状と有意に関連づけられるものはなかった。頸椎についても、全体に極めて著明な骨棘形成、すなわち変形性頸椎症の所見が認められるものの、椎間狭小化の所見はないといってよく、後縦靱帯骨化症の所見は認められるが極めて軽度であった。頸椎の所見は総じて著明な退行変性のものであり、外傷起因性の所見は全く認められず、後縦靱帯骨化症も臨床所見とはあまり関係がないと推測されるものであった。

(2) 以後、原告は、平成七年九月二九日まで、ほぼ毎月一回、同病院に通院した。

その間、右(1)の腱反射の亢進は、上肢・下肢とも改善は認められるものの、異常が認められた(やはり下肢の腱反射の亢進の方が著しい。)。また、原告は、右下腿に重だるい感じがある(平成五年七月三〇日)、両下肢にしびれがある(同年九月一七日)、歩くときにだるい(同年一〇月一日)、両足が重くなってくる、失禁のため夜よく眠れない(同年一一月五日)、両足の重だるさ相変わらず、小さな石を踏むだけで両足から崩れるような感じになる、寒くなってくると特にきつくなってくる(同年一二月三日)、気温が下がってくると両下肢に痛みが出てくる(同六年一月七日)、失禁のため不眠が続く(同年三月四日)、トイレは定期的に時間を決めて行っている(同年五月六日、七月一日)旨を訴えた。

(3) 原告は、国立泉北病院への通院期間中、平成五年一〇月までは、家の中の日常生活に必要なことを多少はすることができ、ときどきは、買い物にもゆっくり歩いて行っていた。しかし、同月ころから、症状が悪化し、その後、症状に著変はなく、平成六年五月六日、主治医である夫才男医師は、経過観察をしてもあまり状態の変化はないと思われると判断した。

そして、国立泉北病院への通院の際は、近所の人に付き添ってもらい、ゆっくりゆっくりと休みながら歩くのがやっとという状態であった。また、いったん横になると自力で立ち上がることも困難であった。

(4) 原告は、平成七年七月二七日、国立泉北病院の夫才男医師の診断を受けたが、同医師作成の診断書によれば、麻痺の起因部位は脊髄性のもので、知覚麻痺(鈍麻)と運動麻痺が存在し、上下肢反射は左右とも異常があり、関節運動筋力は半減しており、日常動作の障害程度については、① さじで食事すること、顔に手のひらをつけること、ズボンの前ボタンのところに手をやること、歩くことは、一人でうまくできる、② 立ち上がることは可能であるが支持が必要であり、階段の昇降は可能であるが手すりが必要である、③ つまむこと(新聞紙が引き抜けない程度)、握ること(丸めた週刊誌が引き抜けない程度)、タオルを絞ること、紐を結ぶこと、座ることは、一人でできるが、うまくできない、④ 尻のところに手をやること、上着の着脱(かぶりシャツを着て脱ぐこと及びワイシャツを着てボタンをとめること)、ズボンの着脱、靴下を履くこと、片足で立つことは、一人では全くできない、という状態であり、日常生活において著しい障害が認められるとの判断がなされている。

すなわち、同医師の診断によると、原告は、一人でしゃがみこんだり、長時間一定の座位を保つことが困難であり、洗濯、掃除、買い物等の家事をこなせる状態ではなく、随時他人の介助がないと日常生活を送れない状態であって、手指の巧緻性障害、痙性麻痺、四肢筋力低下のため、就労できる状態ではなかった。

(5) 原告は、平成八年七月一日、国立泉北病院において香月憲一医師の診断を受けたが同医師作成の後遺障害診断書によれば、自覚症状としては、全身倦怠感、歩行時の痙攣(下肢)、下肢に力が入らない、排尿排便が思うようにコントロールできないというものであり、他覚症状及び検査結果は、「知覚については、頸以下体幹・四肢とも痛覚が脱失、触覚は一〇分の三程度残存している。反射については、上肢はほぼ正常であるが、下肢は両側とも亢進している。筋力は、上肢が三ないし四程度、下肢が二ないし三程度であり、上下肢とも著明な筋萎縮はない。レントゲン所見は頸椎症が著明である。」とされている。また、障害内容の増悪・緩解の見通しについては、「脊髄の完全損傷ではないが、上記のように著しい神経障害を認め、緩解の見通しはほとんどない。また、日常生活では適宜介助を必要とする。」との所見が示されている。

3  本件事故後に原告に生じた傷害及び後遺障害と本件事故との因果関係

前記1、2認定の事実によれば、(一) 原告は、本件事故の約二五年ないし三〇年前、交通事故に遭い、頸髄損傷と診断され、四肢が麻痺し、病院に約六年間入院して頸椎牽引等の治療を受け、その後大阪府堺市所在のリハビリセンターにおいてリハビリテーションを受け、日常生活動作ができるまでに回復し、歩行もステッキ等を使わずスムーズにでき、軽く走ることもできるようになり、昭和五四年から同五五年ころ株式会社セイビ大阪において警備員として働いたほか、非常勤でしばらく株式会社真孝警備において警備員として働いたこともあった、(二) 原告は、本件事故直前においても日常生活に支障を来すことなく生活しており、住之江又は尼崎の競艇場まで頻繁に出かけて賭けをしていて、本件事故の二日前である平成五年三月一九日にも住之江競艇場に行っており、本件事故当日も、自宅から介助等を受けることなく一人で被告髙島屋大阪店まで出かけていた、(三) 原告は、本件事故直後の平成五年三月二一日午後三時一〇分、辻外科病院に救急搬送され、上肢にしびれがあると訴え、手指運動は緩慢、足趾運動は貧弱、四肢の運動は低下の疑いがある、歩行は不可の状態、ワルテンベルク症状左右とも(+)であるが、意識は清明で四肢の運動時疼痛なし、頸椎に疼痛なし、上肢・下肢の腱反射は正常との所見により、頸髄不全損傷(中心型)と診断され、ベッド上での安静が必要と判断され、午後四時五〇分同病院に入院した、(四) 同年七月二二日に辻外科病院を退院したが、同病院作成の同月一九日付の国立泉北病院宛の紹介状には、「傷病①頸髄中心性損傷、②変形性頸椎症。C5エリア以下の知覚・運動障害を認め、グリソン牽引にて経過観察したところ、しだいに症状が軽減し、現在、両上肢のしびれ感、巧ち運動障害を認めるのみで、ADLは自立しています。」と記載されている、(五) 原告は、同年七月二三日、国立泉北病院で初めて診断を受けたが、その際の主たる訴えは、両下肢のしびれであり、頸部のレントゲン所見として脊柱管に狭窄があり、上腕二頭筋反射、上腕三頭筋反射、膝蓋腱反射、アキレス腱反射の亢進が認められ(下肢の腱反射の方が著しい。)、頸椎症性脊髄症と診断された。(六) 原告は、以後平成七年九月二九日まで、ほぼ毎月一回国立泉北病院に通院し、その間、平成五年一〇月までは、家の中の日常生活に必要なことを多少はすることができ、ときどきは買い物にもゆっくり歩いて行っていたが、同月ころから、症状が悪化し、その後、症状に著変はなく、通院の際は、近所の人に付き添ってもらい、ゆっくりゆっくりと休みながら歩くのがやっとという状態であり、また、いったん横になると自力で立ち上がることも困難であり、平成七年七月二七日に国立泉北病院において受けた夫才男医師の診断では、麻痺の起因部位は脊髄性のもので、知覚麻痺(鈍麻)と運動麻痺が存在し、上下肢反射は左右とも異常があり、関節運動能力は半減しており、随時他人の介助がないと日常生活を送れない状態であって、手指の巧緻性障害、痙性麻痺、四肢筋力低下のため就労できる状態ではないと診断され、平成八年七月一日に国立泉北病院において受けた香月憲一医師の後遺障害の診断では、自覚症状としては、全身倦怠感、歩行時の痙攣(下肢)、下肢に力が入らない、排尿排便が思うようにコントロールできないというものであり、他覚症状及び検査結果は、「知覚については、頸以下体幹・四肢とも痛覚が脱失、触覚は一〇分の三程度残存している。反射については、上肢はほぼ正常であるが、下肢は両側とも亢進している。筋力は、上肢が三ないし四程度、下肢が二ないし三程度であり、上下肢とも著明な筋萎縮はない。レントゲン所見は頸椎症が著明である。」とされ、障害内容の増悪・緩解の見通しについては、「脊髄の完全損傷ではないが、上記のように著しい神経障害を認め、緩解の見通しはほとんどない。また、日常生活では適宜介助を必要とする。」との所見が示されている、というのであって、これによれば、原告は、本件事故後、脊髄損傷の傷害や歩行障害、巧緻運動障害等の後遺障害を負ったものと認められ、これは、本件事故による衝撃が原告の脊髄に加えられたことに起因していることが明らかというべきであり、本件事故との間に相当因果関係を優に認めることができる。

もっとも、レントゲン検査やMRI検査によっても外傷による所見は認められないが、調査嘱託の結果(前記香月憲一医師の平成一〇年一月二〇日付回答書)及び弁論の全趣旨によれば、レントゲン検査やMRI検査において頸椎に外傷による所見が認められなくても頸髄損傷の症状を呈することがあり、また、レントゲン検査上頸椎に外傷による頸髄損傷の所見がある場合、部位や程度によっても異なるものの、介助があっても歩行不能で、常時車椅子を必要とすることがあるのであって、本件事故後の原告の症状と類似しているといえるから、レントゲン検査やMRI検査によっても外傷による所見が認められないからといって、前記認定を左右するものではない。

なお、前記のとおり、平成五年七月一九日付の辻外科病院作成の国立泉北病院宛の紹介状には、原告「現在、両上肢のしびれ感、巧ち運動障害を認めるのみで、ADLは自立しています。」と記載されているところ、右調査嘱託の結果によれば、ADL(日常生活動作)が自立しているとは、動作の機敏性や活動性において通常人の動作と同程度であることを意味せず、同上肢のしびれ感や巧緻運動障害により、上肢を使う動作については通常人に比べ不自由を感じていたものの、何とか自立している状態と判断したものと推測されることが認められる。

4  後遺障害の程度

前記2認定の事実によれば、原告は辻外科病院入院中に症状が徐々に回復に向かっており、国立泉北病院に通院するようになってからも、平成五年一〇月までは家の中の日常生活に必要なことを多少はすることができ、ときどきは買い物にもゆっくり歩いて行くことができたが、同月ころから症状が悪化し(とりわけ、両下肢のしびれや重だるさを訴えるようになった。)、その後、症状に著変はなく、平成六年五月六日、主治医である夫才男医師は、経過観察をしてもあまり状態の変化はないと思われると判断したというのであって、このことからすれば、同日をもって本件事故による歩行障害、巧緻運動障害等の後遺障害が症状固定したとみるのが相当である。

そして、前記2認定事実、特に、同(二)(4)の平成七年七月二七日の国立泉北病院夫才男医師による診断及び同(二)(5)の平成八年七月一日の同病院香月憲一医師による診断によれば、原告は、手指の巧緻性障害、痙性麻痺、四肢筋力低下のため就労できる状態でないだけでなく、洗濯、掃除、買い物等の家事をこなせる状態ではなく、随時他人の介助がないと日常生活を送れないというのであるから、その後遺障害の程度は、後遺障害別等級表二級三号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、随時介護を要するもの)と同表三級三号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの)との中間程度であると認めるのが相当である。

三  被告らの過失相殺の主張について

被告らは、原告としても対面する歩行者の動静にある程度は注意すべきであるから五割の過失相殺がなされるべきであると主張するけれども、前記一認定のとおり、原告は被告和田に背後から衝突されたのであるから、右過失相殺の主張はその前提を欠いており、採用することができない。

四  身体的素因の寄与

前記二1(一)及び(二)認定の事実によれば、原告は、本件事故の約二五年ないし三〇年前、交通事故に遭い、頸髄損傷と診断され、頸より下が麻痺し、病院を転々として約六年間入院して頸椎牽引等の治療を受け、その後、大阪府堺市所在のリハビリセンターにおいてリハビリテーションを受け、日常生活動作(ADL)ができるまでに回復したものであり、本件事故翌日における医師による問診に対しても、「以前より頸髄損傷があったが日常生活動作は自立していた。尿意はなかったが、膨満感にてコントロールしていた。上下肢に近く障害があったが、本件事故後増強している。」旨答えており、また、本件事故後の診断において腰椎及び頸椎に著明な変形性脊椎症の所見が認められ、これは、総じて退行変性のものである、というのであるところ、原告の後遺障害は、本件事故の態様に照らすと、過大な症状が生じており、また、いったんは徐々に回復に向かいながら、その後悪化するという経緯を辿っていること、証拠(甲三、調査嘱託の結果)によれば、前記退行変性による変形性脊椎症は、加齢現象として高齢者に多く見られるものであり、必ずしも臨床症状が生じるとは限らないが、外力を受けることによって脊髄症状が発現し(頸椎症性脊髄症)、発症した場合は、四肢のしびれ感や運動障害で始まり、一般に徐々に増悪して巧緻運動障害、筋力低下、知覚障害が出現し、その回復は困難であることが認められること、原告の後遺障害の症状は、右のような頸椎症性脊髄症の症状と酷似しており、現に国立泉北病院で頸椎症性脊髄症であると診断されていることを併せ考えると、原告の前記のような交通事故による脊髄損傷(前記認定事実に照らし、完治していたとまではいえない。)及び変形性脊椎症と本件事故による衝撃がともに、原告の脊髄損傷の傷害、後遺障害発症の原因となったものと推認するのが相当であり、その発症に対する寄与の割合は、交通事故による脊髄損傷及び変形性脊椎症の方が本件事故による衝撃よりやや大きく、五五パーセントを占めると認めるのが相当である。

したがって、不法行為法における当事者間の公平な損害の分担という見地に照らし、後記認定の原告の損害の全部を加害者たる被告側に負担させるのは公平を失するから、民法七二二条二項の規定の類推適用により、五五パーセントを減額し、その損害のうち四五パーセントに限って賠償させるのが相当というべきである(最高裁平成四年六月二五日判決・民集四六巻四号四〇〇頁)。

原告は、不法行為の加害者は被害者のあるがままを受け入れなければならないのであるから、原告に交通事故による既往障害があったとしても、それを理由として損害額を減額すべきでないと主張するが、採用することができない。

なお、被告らは、原告の既往障害による損害賠償額の減額について、体質的素因の寄与に基づく減額のほかに、加重障害の手法による減額をも主張するが、既往障害の存在は原告の体質的素因として右のように考慮済みであり、更に加重障害による減額をするとすれば同一の事由を二重に評価することになるから、右主張は採用することができない。

五  損害額

1(一)  後遺障害による逸失利益

証拠(甲一一、二五、二六、原告本人)中には、原告は本件事故当時も不定期に非常勤で警備員として働いていたとの部分はあるが、これを裏付けるに足りる的確な証拠がないので、採用することができず、他に原告が本件事故当時現実に就労していたと認めるに足りる証拠はない。そして、原告が本件事故当時、具体的に就労の機会を得られる蓋然性があったと認めるに足りる証拠もなく、かえって、前記認定事実によれば、原告は、住之江又は尼崎の競艇場まで頻繁に出かけて賭けをしており、本件事故の二日前である平成五年三月一九日にも住之江競艇場に行っていたのであって、具体的に就労の機会を得られる蓋然性はなかったものと認められる。

このように、原告は、本件事故当時、現実に就労しておらず、具体的に就労の機会を得られる蓋然性もなかったのであるから、労働能力が残存していたか否かにかかわらず、本件事故によって後遺障害による逸失利益の損害を被ったものとは認められない。

(二)  入通院慰謝料・後遺障害慰謝料

前記原告の症状、本件加害行為の態様、入院日数、通院期間、実通院日数、後遺障害の内容・程度等を総合すると、入通院による精神的損害に対する慰藉料は一九〇万円、後遺障害による精神的損害に対する慰藉料は一五〇〇万円をもって相当と認める。

(三)  介護費用(ヘルパー派遣料)

前記認定の原告の後遺障害の内容・程度によれば、原告は、随時他人の介助がないと日常生活を送れないというのであるから、終生、ヘルパーの派遣を受けることが必要であり、そして、証拠(乙二の1ないし7)及び弁論の全趣旨によれば、平成五年五月一三日以降のヘルパー派遣料は一日当たり一万一五六〇円であることが認められる。

ところで、原告は、本件事故の発生日である平成五年三月二一日以降の介護費用(ヘルパー派遣料)を損害として賠償を求めるが、被告髙島屋が原告に対し付添婦代として五五万七七三二円を支払ったことは当事者間に争いがなく、証拠(乙二の1ないし7、証人三宅雅彦)によれば、右付添婦代は、原告が辻外科病院に入院した平成五年三月二一日から医師の判断により打ち切られた同年五月二四日までの間、毎日、付添婦が原告の付添をしたことによる費用であると認められるから、右期間の付添婦代の損害は既に填補されたものというべきであり、原告がこれとは別に介護費用の損害を被ったものと認めるに足りる証拠はない。また、付添婦の付添がなくなった同月二五日から同病院を退院した日である同年七月二二日までの間は、原告が介護費用を支出する必要はなく、現に支出したと認めるに足りる証拠はないから、介護費用の損害を被ったものとは認められない。

さらに、前記二2(二)(3)認定の事実によれば、原告は、辻外科病院退院後の国立泉北病院通院期間中も、平成五年一〇月ころまでは、家の中の日常生活に必要なことを多少はすることができ、ときどきは買い物にもゆっくり歩いて行っていたものであって、ヘルパーの派遣を受けることまで必要であったとは認められない。

したがって、介護費用の損害の請求のうち、平成五年三月二一日から同年一〇月三一日までの間の部分は理由がないというべきであり、症状が悪化した後の同年一一月一日以降の部分のみ理由があるということになる。

なお、右介護費用の損害の請求のうち、本件口頭弁論終結の日(平成一〇年四月二四日)より後の部分は、将来の給付を求める訴えに当たるが、被告らはその損害の発生を争っているから、予めその請求をする必要性があるということができる。

2  減額

(一) 右1(二)の慰藉料の合計一六九〇万円について、前記四の身体的素因の寄与に基づく五五パーセントの減額を行うと、七六〇万五〇〇〇円になる。

(二) 右1(三)の介護費用の損害一日当たり一万一五六〇円について、同様に五五パーセントの減額を行うと、五二〇二円になる。

3  弁護士費用

本件事案の内容、訴訟の経過及び認容額その他諸般の事情を考慮すると、原告が本件事故と相当因果関係のある弁護士費用の損害として請求できる額は、一五〇万円と認めるのが相当である。

4  損害額のまとめ

以上によれば、原告が請求できる損害の合計額は、慰藉料七六〇万五〇〇〇円及び弁護士費用一五〇万円との合計九一〇万五〇〇〇円と、平成五年一一月一日以降の介護費用一日当たり五二〇二円ということになる。

六  被告髙島屋と被告和田の関係

証拠(乙一、五、証人和田)によれば、被告和田は、本件事故当時、被告髙島屋大阪店に出店している和菓子屋(東雲富貴堂)のアルバイト店員であったこと、被告髙島屋が作成した事故発生状況報告書(乙一)には、本件事故を起こした者は、「被告髙島屋大阪店係員」であり、被告髙島屋はその使用者である旨記載されていることが認められ、被告和田と被告髙島屋との間には実質的な指揮監督関係を認めることができる。

そして、前記一認定の事実及び証拠(証人和田)によれば、被告和田は、右和菓子屋のあられ類の入った段ボール箱を売場のカウンターから配送場まで運搬する途中で原告と接触したことが認められるから、被告和田の加害行為は被告髙島屋の事業の執行としてされたと認められる。

したがって、被告髙島屋は、被告和田の使用者として民法七一五条一項本文の責任を免れないというべきである。

七  結論

以上の次第で、原告の甲事件及び乙事件の各請求は、被告らに対し九一〇万五〇〇〇円及びこれに対する本件事故の発生日である平成五年三月二一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求め、並びに同年一一月一日から原告の死亡に至るまで毎日一日当たり五二〇二円の割合による金員及びこれに対する各支払期日の翌日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める限度で理由があるから、これを認容し、その余はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条本文、六五条を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官水野武 裁判官石井寛明 裁判官石丸将利)

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